osatonの小部屋

家ではご機嫌だけど、人にあんまり会いたくない病のひきこもりが、心地良い部屋、快適な暮らしと心を目指し日々改善中です

「晩春」という認知症のドキュメンタリー。本当に大事なものって?

光と風にゆれるカーテンのある窓辺

ひきこもりの部屋からこんにちは。

今日はお天気なので、シーツの洗濯をしたosatonです。

晩春 

先日、深夜にTVをつけっぱなしにしていたのですが

ちょうど放映されていた「 晩春 」という

ドキュメンタリー番組が興味深く

つい見入ってしまいました。

 

内容の大筋はこういったものです。

_________________________

結婚にも子供にも興味がない男性が、56歳で想定外の結婚。16年間同棲した女性が若年性認知症になったからだ。介護のため会社を退職。まさかの結婚でみつけたものとは。

_________________________(番組表より)

 

7年にわたって取材してあるので

2人の関係性がどう変化していったのかよくわかりました。

 

女性の方はどんどん症状がひどくなり

なにもできなくなっていくのですが

不思議な事に、以前は身勝手な性格だったという男性が

どんどん思いやり深く、優しくなっていくのです。

 

途中でいろんなものを失ってゆく苦しみや

認知症の症状が進んだ事で起きる誤解などで

問題が起こったりするものの

男性の愛は深くなっていき

最後の2人の表情は最初とは全く別人でした。

 

ふと、テレビで心屋仁之助さんが

「人は何も無くても(存在するだけで)

ありのままで愛されるものだ」

と言う様な事(言い方が違うかもしれないけれど同じ様な意味の事)

を言っていたなと思い出しました。

それからもう一つ
断捨離的な目線で見ても面白かったのです。
 
最初の頃の2人の家は、物がとても多く
床にもいろいろなものが積み上げてあり
お世辞にも綺麗な家ではありませんでした。
失礼ながら、ごちゃごちゃで、頭の中がより混乱してしまいそうな家です。
 
それが、一番最後にがらっと変わったんです。
物は少なくなり、すっきり綺麗になっていて
植物がいくつか、窓から入る日の光に照らされています。
風が通りそうで、とても居心地の良さそうな家になっていました。
 
私はかなり衝撃的でした。
男性は、自分にとって何が本当に大事な物がわかったんだなと感じました。
 
 調べてみたら再放送があるようです。
「NNNドキュメント’15」「晩春」
2015年5月17日(日) 11:00~ BS日テレ
2015年5月17日(日) 7:00~/24 :00~ CS「日テレNEWS24」
 
おすすめです。是非見てみて下さい。
 
 ☆以下、番組表にあった番組案内をそのまま貼付けますね。
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番組内容

「結 婚しない男」がまさかの結 婚…。家庭にも子供にも興味がなく独身を通してきた男性が、56歳にして想定外の結婚をした。京都に住む芦田豊実さん(66)。きっかけは16年間同棲し た女性が若年性認知症を発症したこと。初めての家事と介護に悪戦苦闘。サラリーマン生活と両立ができず、会社を退職した。他に頼る人もいない1対1の介護 で、2人の関係は悪化していく。しかし、芦田さんには人生の晩年にみつけたものがあった。

制作

日本テレビ

晩春
認知症の彼女と結婚した理由

番組詳細説明(内容)

【内容】
生涯未婚率 男性20.1% 女性10.6%
結婚しない人が増えている。

芦田豊実さん(66)もそのひとりだった。

家庭をつくる事にも子供を持つ事にも興味がなく
同居している女性に結婚を迫られるも
のらりくらりと言い訳をしては逃げていた。

そんな「結婚しない男」が56歳で結婚。

理由は、同居する女性が若年性認知症を発症したためだった。

責任をとって結婚。
義務感からの介護。

まさかの展開、初めての経験に、悪戦苦闘。

サラリーマン生活が続けられず、定年目前に退職を余儀なくされた。
頼る人もなく1対1の介護。
でもそれは、女性の人生に正面から向き合う事だった。
足掛け7年にわたる取材。
芦田さんの心が少しずつ変化していった。
人生の晩年に、まさかの結婚をした男性が、みつけたものとは・・・。

●男の身勝手
京 都に住む芦田豊実さん(66)は、結婚しない男性の1人だった。新潟から高校卒業後、上京した団塊の世代。東京の大手コンピュータメーカーでシステムエン ジニアとして働いた。40歳の時、結婚相手として紹介され、長く友達づきあいをしていていた節子さん(64)を誘って同居。しかし、芦田さんは婚姻届を出 さなかった。なぜなら、「結婚するほど好きじゃなかった。ルームメイトのように楽しく暮らせればそれでいいと思っていた。」結婚や子供を望んでいた節子さ んとは時々ケンカになったが、のらりくらりとやり過ごしていた。

●状況の変化
状況が変わったのは、芦田さん55才の時。節子さ ん が若年性認知症と診断され、勤めていた銀行を退職した。結婚していない同棲相手。別れる選択肢もあったが、責任を感じて、芦田さん56歳の時、結婚した。 2人の間に子供はおらず、節子さんの介護は芦田さん一人の肩にかかる。仕事と介護の両立が難しくなり、定年を目前にして退職を余儀なくされた。その時、京 都に転勤中だった芦田さんは、そのまま京都に永住する事を決めた。2人が初めて一緒に住んだ千葉のマンションを引き払う時、節子さんは、将来家族が増えた 時のために集めていた食器が処分されるのを目にする。認知症になり料理ができなくなったため、仕方のない事だったが、芦田さんは悲しむ節子さんを見て、自 分と一緒に人生を過ごしてきた節子さんの幸せは何だったのかと、初めて気づく。

●認知症の悲劇
芦田さんは、これまでのつぐない の ように献身的に世話をした。ところが、節子さんは芦田さんの介護を拒絶。毎晩、新潟の実家に帰りたいと家の中を徘徊する。新たに介護施設でパートを始めて いた芦田さんは、日中は仕事、帰宅後は、節子さんの介護拒否と徘徊で、心身ともに疲弊していく。さらに節子さんは、芦田さんから逃げるようになる。実は、 芦田さんのイライラを怖いと感じ、しかも、芦田さんと結婚した事を忘れていたのだった。

●取材6年目、芦田さんの心の変化
2014 年、春。節子さんは全身けいれんを起こし、病院に救急搬送された。意識が戻らない中、芦田さんは初めて、節子さんの死を覚悟した。そこで、節子さんの介護 が自分の生きがいになっている事に気づいた。節子さんは、言葉も忘れほとんど話すことができない。けれど、芦田さんと目があうと、にっこり微笑む。
責任をとって結婚。義務として始めた介護だったが、それを通して、芦田さんは節子さんの人生に正面から向き合う事になった。長い介護生活の末、節子さんに対する思い、愛情が深まったと芦田さんは語る。そして今年、2人は結婚10年目を迎えた。(了)

 

心屋さんの本もDVDも拝見した事はありませんが、ちょっと読んでみたくなりました。